人類が宇宙へと進出して、既に数世紀。  全人口の三分の二が宇宙に建設された都市『ファクトリー』に移住している時代。  地球には統一政府が樹立され、それに従属する形で六つのファクトリーが自治権を持ち、各々の領地を治めていた。  しかし、とうの昔に資源が枯渇し、それを補うために開発されたファクトリーが自治権を持った時点で、その力関係が一方的に終わる道理はなかったのである。  各ファクトリーは、それぞれが持つ資源採掘の権益を盾に、地球政府に対して様々な要求を繰り返した。  それらの要求が平和裏に解決された理由は、当時の地球政府大統領が平和主義者であり、比較的に優れたバランス感覚の持ち主だったからに他ならない。  地球政府主導によるピラミッド型の権力構図は崩壊したものの、それでもまだ人類は地球圏の平和を守り抜いていたのである。  そのバランスが転覆したのは、一年前のこと。  当時の大統領は決して無能ではなかった。  むしろあえて地球政府の権力を削ぐことで、内部の強硬派を抑え、ファクトリーとの均衡状態を作り出していたのだ。  だが、それを理解していたのは、極一部の人間に過ぎない。  地球に住む人類──────割合的に減ったとはいえ、それでも全人口の三分の一──────の多くにとって、大統領の態度は弱腰外交にしか映らなかったのである。  結果、大統領選挙の際、民衆の支持を得たのは対ファクトリーのタカ派だった。  彼は、これまで政府が行ってきた各ファクトリーへの援助の打ち切りと、連邦政府への各種資源の納入を義務化する法案を議会に提出した。  当然、六つのファクトリーはこの措置に対して強烈な不満を抱き、深刻な懸念の表明──────つまりは連邦政府統治からの脱退を示唆し、地球政府と各ファクトリーの関係は一触即発の状態に陥いることとなる。  しかし、それも長くは続かない。  地球政府は軍事制裁すらもちらつかせ、ファクトリーの首脳を恫喝した。  これに屈する形で、次々とファクトリーは降伏していき、今になって抵抗を示すのは、F3『ガルト』とF7『アスガルド』を残すのみとなっている。  幾ら資源という交渉のカードがあっても、それらを用いるためには交渉の舞台がなければならない。  ファクトリー側にしてみれば、地球政府の対応こそがありえないものだったのである。  あくまで両者の関係は持ちつ持たれつであり、そこには十分に話し合いの余地があったはずなのだ。  その均衡を崩す要素はただ一点──────地球政府が持つ軍事力のみである。  まさかそれを持ち出してくるとは(戦争などという概念は、宇宙開拓時代に終わりを告げている)夢にも思わず、ファクトリーは大人しく鉾を収めるしかなかったのだった。  いずれはガルト、アスガルド両ファクトリーも交渉の余地がないことを悟り、降伏するしかないだろう──────地球政府のみならず、ほぼ全ての人間が、そう考えていた。  当の、二つのファクトリーを除いては。    iM@S LIGHT - Borderless War -    第1話「初陣」  PJは考え込んでいた。  様々なことを考え、そして事態の把握に努めていた。  奇襲攻撃。  近隣のドックとの通信途絶。  偵察部隊の全滅。  通信要員からの怒号のような報告を簡潔にまとめるなら、大体そんなところだ。  現在、彼が所属するハミルトン基地は第一種戦闘配備、つまり臨戦態勢に置かれており、彼自身にも出撃命令が下っている。  にも関わらずじっくり考え事などできるのは、余りにも現場が混乱しすぎていて、部隊編成が整わないためである。  仕方なくPJは愛機であるHU──────ハードユニット、大きな人型をした宇宙時代の兵器──────の座席で、次なる命令を待っているしかない。  ちなみに彼は、軍隊に所属しているものの、正規の軍人ではない。  実用化されたばかりのHU兵器のテストパイロットとして雇われた、いわば傭兵である。  これ自体は別に珍しい事ではない。  HU兵器は旧時代の歩兵部隊、機甲部隊に代わる戦力として期待されている。  人を模した兵器としての、制圧能力。  重火器を装備できる砲台としての攻撃力。  そして宇宙時代でも現役ではあるが、旧来の理論を応用したものに過ぎない航空機(航宙機とすべきか)の機動力。  それらの全てを兼ね備えた、万能兵器として、HU兵器は研究されてきた。  しかし、まだこの新兵器は実戦投入が決定されたばかりであり、もしこの出撃が叶うならば、この戦いが初陣となる。  軍としては兵器としての有効性を示したいのと同時に、貴重なパイロット(兵器そのものよりずっと金がかかるのだ)を危険に陥れたくないのも本音だった。 (そこを行くと、俺たちみたいな連中は安上がりってわけだ)  PJのような傭兵は、正規の兵ほど金もかからない。  働きに応じて報酬こそ支払うものの、例え事故(未確認勢力と遭遇することによる“不幸な事故”を含む)で死んでも、基本的には自己責任でしかない。  今頃、現場の兵士たちが蜂の巣を突付いた騒ぎなのと同じか、或いはそれ以上の慌しさで、研究班はデータ観測の用意を急ピッチで進めていることだろう。  地道に演習で採るしかなかったデータが、実戦という形で手に入るのだ。  思わぬチャンスに、奴らは大喜びしているに違いない。 「……まァいいか。予想してなかったわけでもないし」  PJとて、まだ若くとも傭兵だ。  危険の香りには鋭く反応する嗅覚を備えている。  地球政府から通達された事実上の降伏勧告に対して、ガルトやアスガルドが一週間以上も無反応だった時点で、嫌な予感はしていたのである。  それがいきなりこんな、どちらのファクトリーからも遠く離れた宙域で戦闘になるとは、流石に考えていなかったが。  いずれにせよ遠からず衝突は避けられなくなるだろうというのが、PJの見解であり、他の多くの傭兵、そして一部の現場の兵士の共通認識だったと言える。  まあ、地球政府のお偉いさんたちが、この事態を想定していたかは知ったことではないが。 『出撃! PJ、出撃だ!』  PJの耳に、相変わらず悲鳴なのか怒声なのかも分からない声が響いた。  同時に、PJの搭乗する機体の正面にあるハッチがゆっくりと開いていく。 「出撃って、結局編成はどうするんスか?」 『緊急編成が決まった。近隣の基地から小隊長と二番機を出すから、お前は三番機として合流しろ!』  どうやら、実戦に出せると判断された人間が、この基地では自分だけだったらしいと、PJは思った。  それで他所の基地から二人回してもらって、そこに自分が合流という形を取るらしい。  政府軍が聞いて呆れるよ、という嘆きは、心の中だけにしておく。 『急ぎ出撃し、先行する二機に合流せよ』 「了解。現場までの案内を頼む」  応えつつ、PJは機体を操り、カタパルトに足を乗せる。 「こちらPJ、マルスで出ます!」  射出要員がカウントダウンを行う。  5、4、3、2、1…… 「…………ッ!!」  カタパルトが作動し、強烈なGがPJの身体をシートに押し付ける。  一際強烈な衝撃が襲ったかと思うと、次の瞬間、機体は暗い宇宙空間へと放り出されていた。 「さァ行くか。お財布握り締めて待ってろよ」  傭兵らしくそう嘯くと、PJはスロットルレバーを引き、合流地点に向けて加速していった。 『ようやく来やがったか』  PJが合流先の部隊(部隊と言うほど人数がいるわけではないが)の通信可能距離に入った途端、聞こえてきたのはそんな台詞だった。 「こちらPJ。通信中の機は『ハートブレイクワン』か?」  内心舌打ちしたくなるのを堪えて、PJは確認を優先した。 『そうだ。お前が三番機らしいな』 「らしいっすね。ちなみに、部隊名は?」 『“ガルム”だ。番犬らしく、物騒なお客さんどもをお持て成ししてやれ』  ガルムというのは、地獄の番犬だかなんだかの怪物の名前だったと、PJは大して詳しくもない知識を引っ張り出して思った。  別に部隊の名前にこだわりがあるわけでもない。  なら自分はガルム3になるのか、と思っただけのことである。 『そういえばお前は雇われらしいな。二番機、お前と同じだ。ほれ、挨拶してやれ』  促されて、初めて二番機のパイロットが口を開いた。 『はじめまして。こちらガルム2、コールサインは“サイファー”です』  PJは思わず驚きの声を上げそうになった。  二番機のパイロットの声は、明らかに女性──────いや、少女の声だったからである。 (確かに、ハードユニットのテストパイロットは色んなタイプの人間を集めてるって聞いたけど……)  声だけなので断言はできないが、サイファーと名乗ったパイロットの声は、どう聞いても精々がハイティーンの少女にしか聞こえなかった。  その時点で、まだ傭兵として駆け出しに過ぎないPJよりも若い。 (それがテストパイロットっていうのもどうかと思うけど……実戦に上げるなんて、あっちの指揮官は何を考えてるんだ?)  ガルム1、ハートブレイクワンも、その事実を理解した上で平然と編隊を組んでいるのだ。  正気の沙汰とは思えない。 『おい三番機、ぼさっとするな。もうすぐ偵察部隊が消えた辺りだぞ』 「は、はい、すんません!」  我に返って返事をしたPJは、周波数を閉じて、一番機とのプライベート通信に切り替えた。 「あの、二番機のことなんですが」 『余計な心配をするな。まずは手前の命の心配をしろ』  本当にこのまま連れて行くのかと確認しようとしたところで、ぴしゃりと先んじられてしまった。  しかしPJは納得がいかない。 「でも、女の子を実戦に出すなんて……」 『バァカ、俺から見ればお前も似たようなもんだ。頼むから撃墜なんぞされてくれるなよ』 「されませんよ! 俺だって訓練くらい受けてます!」 『よし、その意気だ。後は黙って俺について来い』  更に文句を言おうとしたところで、緊張感に欠ける声が割り込んできた。 『あの、偵察隊が通信を絶った宙域に到着しました』  慌ててPJは通信の周波数を元に戻し、了解と応じる。  もう引き返せない。既にここは戦場だ。 『よし、お前たちは俺の後ろから離れるな。レーダーに気を配れ。異常があったらどんなことでも報告しろ』 『了解です』 「了解」  応えて、サイファーは一番機の右後方に付く。  それを見て、PJはその反対側、左後方に付けた。 『よーしいい子だ。生意気な行動は取るな。とにかく俺に頼れ』  ハートブレイクワンがそう言って、近くにある暗礁地帯へと近付いていく。  PJとサイファーは、命令どおりにそれに追従した。 『不意打ちには気をつけろ。もし偵察隊を撃墜した連中が近くにいるなら、この辺りに潜んでいるはずだ』 「まだいるんすかね? もしかしたらもう撤退したんじゃ」 『楽観的になるな。奴らの都合なんて俺たちにはどうでもいい。重要なのは、攻撃されるかどうかだけだ』  戦略的・戦術的判断は基地の連中に任せておけばいいのだ。  今、現場にいる彼らにとっては、とにかく生きて帰ることを優先しなければならない。  命以上に大事なものなどないのだから。 『隊長、こちらサイファー。ポイントA7に不自然な熱源がある気がするんですけど……』  やや躊躇いがちに、二番機から報告が入る。  言われて二人はレーダーを確認し、サイファーと同じ結論に至った。 『やるじゃねえか。確かにこいつは変だな』 「太陽の方向を考えても、ここは陰になってるはずです。近くに熱を発するような物質も確認できません」 『よし、決まりだ』  そこには何かしらの熱源を放つ物体……まず間違いなく、偵察隊を撃墜した敵がいる。  味方機の反応がない以上、そう判断するのが自然だった。 『サイファー、基地に報告しろ。PJ、バーニアを消せ。AMBAC(挙動の慣性を用いた移動方法)で石ころの陰に隠れろ』 「了解です」  三機は敵に気取られる可能性を考え、最小限の動作で近くの隕石の陰に姿を隠す。  サイファーが基地に報告を行っている間、PJは何度もレーダー上の反応を確認しながら呟いた。 「この反応、何だろうな。戦闘機なのか、それとも」 『マルスかもしれねえな』  ハートブレイクワンが、PJの台詞を引き継ぐ。  マルスというのは、彼らも搭乗しているHU兵器の機種名である。  まだ最新鋭兵器ではあるものの、ファクトリー側も同種の機体を開発・生産しているという噂は現場の兵士にまで届いていた。  技術情報がどこからか流出している、というのは噂で済まされる話ではなく、既に地球政府上層部も消極的に認めていることなのだ。  問題は、向こうがこちらと同程度の早さで機体の開発を行っているのかどうかだったが。 「もしかしたら、初陣が同機対決なんてことになるかも」 『相手のスペックが分かってるのはありがたいことだが、そいつは避けたい展開だな』  マルスはまだ量産体制に入ったばかりだ。必然的に、その生産コストは戦闘機などよりも数段高いものとなる。 『乗り捨てをするには、ちょいとばかし高価過ぎる機体だからな』  そう言うハートブレイクワンは、あからさまに「危なくなったら機体を捨てて逃げる」と言っているようなものだ。  新兵器をあっさり捨てて逃げ帰っては責任問題になりかねないが、そんなことはどこ吹く風といった調子である。 『隊長、ミッションアップデート』 『おう。基地は何て言ってる?』 『“敵機の正体を確認し、可能ならば鹵獲せよ”と』  無茶言ってくれる、とPJは呆れ返った。  たった三機で正体不明の敵に接触し、しかも原型を留めた状態で確保しろと言っているのだ。  自分たちがこの場に居ないと思って、好き勝手言ってるとしか思えない。 「どうするんすか、隊長」 『仕方ねえだろう。やるだけやって、無理ならトンズラするまでさ』  幾ら何でも、頭から命令を無視するわけにはいかない。  それに、偵察隊の仇くらい討ってやりたいという気持ちが彼らの中にないわけでもないのだ。  あくまで、自分たちに勝機があるならば、という前提の上での話ではあるが。 『いいか、できるだけ気づかれないように近付く。どうやら動かないところを見ると連中は味方の回収待ちでもしてるんだろう。これ以上長引かせると増援が来る可能性がある』 「やるなら今しかないってことっすね」 『そうだ。だがいいか、絶対に無理はするな。俺の前で撃墜など許さんからな』  それにはPJもサイファーも異存はない。  現場の状況を把握しているかどうかも怪しい連中の命令のために、命を賭ける気になどなりはしない。 『行くぞ。ハートブレイクワン、エンゲージ!』 『サイファー、エンゲージ』 「PJ、エンゲージ!」  三機は隕石の陰から陰へと素早く移動しつつ、熱源反応へと近付いていく。  今から命のやり取りをするのか、とPJはここに至って緊張に包まれていた。  そういう覚悟があって、この仕事をしているのだが。  やはり本物の戦場に出るというのは、そんな覚悟の遥か上を行くのだと、まさに肌で感じているのである。 (サイファーも、同じなのかな?)  そう思って、二番機の動きに目を遣る。  特にその動きに乱れはなく、黙々と、粛々と、一番機の動きを追従している。 (……俺だけビビってるわけにはいかないぞ)  そう気合を入れなおすと、PJはスティックを握り直した。  敵機がこちらに気付いたのは、武器の射程内に入る数秒前のことだった。  それまで張り付いていた隕石の陰から、慌てて飛び出してくる。  その機影は、間違いなくPJらと同種のハードユニットだった。 「やっぱりマルスだ。数は……こっちの倍はいる!」 『問題は奴さんたちの次の一手だが』  逃げに転じるか、それとも反撃してくるのか。  敵の判断は早かった。  二機ずつ、三つのチームに分散すると、それぞれがビームガンを構えて射撃を加えてきたのである。 『そうら、撃ってきた、撃ってきた!』  何故か妙に嬉しそうに、ハートブレイクワンが吠える。  ビームが機体の右腕をかすめ、PJは慌てて回避運動に移った。 『敵はこっちを分散させるのが目的だ。誘いに乗るんじゃねえぞ』 「了解!」 『よし、左翼の敵から叩く。俺について来い!』  ガルム小隊は、編隊を崩さず左翼の二機に接近すると、すれ違いざまにビームガンを撃ち込む。  敵の射撃をかいくぐりつつの攻撃だったが、敵の一機が火を噴き、直後に爆発する。 『隊長が一機キル。おめでとうございます』 『へっ。“正体不明の敵”を落としたところで、撃墜数にはカウントされねえんだよ』  サイファーが褒めても、隊長は取り合わない。  PJとしては、それよりもサイファーはよくあの状態で誰の攻撃が命中したか見えていたなと思った。  小隊の三機は、編隊を組んだままターンし、再び敵に向き合う。  引き続き敵はビームガンの射撃を浴びせてくるが、一機が撃墜されたことによる動揺が伝わってくる。  撃墜された機と組んでいた機が、他のチームの援護も受けられない位置で孤立している。 『狙ってくださいと言ってるようなもんだ!』  ハートブレイクワンが鋭く回り込み、側面から孤立した敵を追い立てる。  敵は慌てて転進すると、味方に合流しようとした。  しかし、それはちょうどサイファーに背を向ける形になってしまう。 『サイファー、シュート』  声色を変えず、サイファーはビームガンを撃ち込んだ。  まともな回避運動も取っていなかった敵機は、その直撃を受け背中のバーニアが破壊される。  致命傷を受けたと感じた敵機は、すぐさまコクピットコアを機体から切り離し、イジェクト(脱出)した。 (上手い)  PJはサイファーの射撃を見て、率直にそう思った。  間違いなく初めての実戦であるにも関わらず、極めて冷静に攻撃している。  新兵らしい緊張など欠片も感じられない。 (ひょっとして、どっかのアグレッサーか何か……なわけないか)  アグレッサーとは、演習の際に敵役を演じる、優れた技量を持つ部隊のことだ。  仮想敵国の戦闘機動を理解し、実際にそれが演習で行えるだけの高い知識と能力が要求される。  いわば他の兵士に教育を施すための部隊であり、それだけに一般的なパイロットより数段過酷な訓練と演習を繰り返している。  そういった部隊の出身であればサイファーの機動も納得できると思ったのだが、PJは一瞬でその考えを打ち消した。  その声。  女性なのは間違いなく、それも自分より年下にしか聞こえない。  幾ら何でも、そんなアグレッサーがいれば、噂になっていることだろう。 (後で直接訊けば……っ、やばい!)  目の前で鮮やかに敵が撃破されるのを見て、PJは僅かな時間だが、注意が疎かになっていた。  その間隙を突き、残った敵機の1チームが、サイファーの背後に回り込んでいた。 「サイファー! 背後に敵機、ブレイクしろ!!」  PJは慌てて叫ぶが、二機の敵は既にサイファーの真後ろについている。  かわしようもない位置から銃口を向けられ──────  その直後、PJは目を疑った。  敵に背後を取られたはずのサイファーの機体が、瞬きするほどの間に、逆に敵の背後を取っていたのである。  サイファーを追っていた敵も、何が起こったのか全く分からなかったのだろう。  消えた敵機の姿を探そうとレーダーに目を遣った次の瞬間──────彼らの機体は爆発した。  内部から小さな爆発を幾度も繰り返している二機にはもう目もくれず、サイファーは残る敵へと向き直り、一言呟いた。 『更に二機をキル』  その平淡な声を聞き、PJはゾッと背筋が寒くなるのを感じた。 (こいつは……本物だ)  敵を撃つ際の躊躇とか、撃墜を達成したことによる喜びとか、そういった人間らしい感情が一切感じられない、そんな声だった。  ただのパイロット。  機体の一部品としての、搭乗者。  自分をそういうようにしか見做していないような、冷淡さが伝わってくるようだった。  それを感じ取ったわけではないだろうが、既に数の有利を失ったことを悟り、残った敵は全速力で宙域から離脱していった。 「敵、間もなくレーダーの有効圏外に出ます……追撃しますか?」 『やめとけ。連中の逃げた先には確実に援軍がいる』  そういえばそんなことを言っていた。  その援軍がどの程度の規模なのかは分からないが、分からないからこそ、その中に突撃するのは無謀でしかなかった。 『おい、撃墜した連中の機体はどうなった? サイファーが最初にやったのはそう派手なことにはなってないはずだが』 『ダメですね。脱出すると自爆処理されるように設定されてたみたいです』  機体が敵の手に渡ることを防ぐためだろう。  同じ種類の機体とはいえ、その中身が地球政府のものと同じとは限らない。  機体が敵に奪われることよりも、中に詰まった情報が流出することのほうが遥かに大きな問題なので、自爆処理は当然とも言える。 『仕方ねえな。それは俺たちがどうこうできることじゃない。よし、帰投するぞ』 「あ、俺はどうしたらいいっすかね」  帰投と聞いて、PJが言った。  彼だけは別の基地から発進しているのだが、作戦のデブリーフィングには彼も一緒に参加したほうがよさそうだと思ったのだ。  案の定、ハートブレイクワンは着いて来いと言った。 (基地の研究班の奴ら、残念がるだろうな)  恐らくPJの帰還をまだかまだかと待ちわびている連中の顔を思い浮かべる。  HU兵器初の実戦データを、すぐにでも解析にかけたいと思っているのだろうが、その栄誉はどうやら他所の基地に持っていかれることになりそうである。  まあ、それはPJには関係のないことだ。  人をモルモットか何かのようにしか見ない連中に一泡吹かせてやった気分になって、むしろ笑ってやりたいくらいだった。  ガルム小隊の機体が、次々と基地の発着ドックに降り立つ。  戦闘機ならば、着艦には長い滑走路が必要となるが、ハードユニットは小さな着陸ポイントでも真上から二本の足で降り立つだけでいいので、発着陸に余計な場所を取らないのが利点のひとつである。  事前に連絡が行っていたのだろう、PJの機体の分が確保されたハンガーにマルスを固定すると、PJはコクピットを開け、タラップに降りた。 「ふう……」  基地の整備チームに手短に報告を済ませると、PJはさっさと減圧された区域を出て、ヘルメットを取った。  自分で思っていたよりもずっと緊張していたのだろう。  額の汗はぐっしょりとしていて、僅かに手足が震えているのが分かる。  それでも、戦闘中にパニックに陥らなかっただけで、新兵としては上等とも言える。 (なら、サイファーはどうなんだろう?)  自分と同じように初陣となったはずの二番機パイロットのことを考えた、そのとき。 「お疲れ様でした」  背後から、その当人に声をかけられた。  通信機越しとはいえ、その声は聞き間違えない。  一体どんな奴だろう、と思いながら振り返ったPJの正面には、目的の顔がなかった。 (……あれ?)  声は彼よりも頭一つ分低い位置から発せられていて──────視線を少し下げると、少しむくれたような少女の顔が目に入った。 「……その反応は、ちょっと傷付いちゃいます」  歳相応の表情。  そう表現するべきだろう。  何故ならば、 (ハイティーンどころか……ローティーンじゃないのか!?)  初陣で三機の敵を撃墜した、冷徹なパイロット。  そのイメージが、一瞬で砕け散る。  露骨に背が低いという反応をされた少女は、ぷいっと顔を背けてしまう。  唖然とするPJは、デブリーフィングの呼び出し放送がかかるまで、その横顔を見つめていた。  コールサイン、サイファー。  後に最強のパイロットと呼ばれ、十五年後の戦争で辣腕を振るう彼女の名は、音無小鳥。  これはまだ十三歳にも満たない彼女の、記念すべき初陣の記録である。    第2話に続く