ボクたちがデュオユニットを組んで、もう三ヶ月。  アイドルランクも急成長で、それはとても嬉しいんだけど、問題がひとつ。  ボク、菊地真とデュオの相方──────水瀬伊織は、いっつも喧嘩ばかりなのだ。  はじめの頃こそボクも張り合ってたんだけど……。  最近はもう疲れたというか慣れちゃったというか、正直、対応に困ってる。  プロデューサーに相談しても、 『善き哉、善き哉』  なんて言って全然相手にしてくれない。  ……“善き哉”ってどういう意味だろ?  いや、とにかくボクは困ってるんだ。  ほら、今日もまた……。 「だ・か・ら! あんた服のセンスないんだから、私の買い物に付き合ってちょっとは磨きなさいって言ってるのよ!」 「し、失礼だなぁ! ボクだって服くらい選ぼうと思えばちゃんと選べるよ!」 「どーせ似合いもしないヒラヒラのとか選ぶ気でしょ!」 「似合わないって……あーもう……!」  また言い返そうとして、前も同じことを言ったのを思い出す。  はぁーっと溜息をついて、伊織から顔を背けた。 「何よ、こっち見なさいよ! 顔も見たくないってワケ?」  と思ったら、わざわざ回り込んで顔を覗き込まれる。 「いや、そういうわけじゃないけど……っていうか伊織、何がしたいの?」 「えっ?」 「そんなにキーキー怒るくらいなら、自分一人で行けばいいじゃないか」 「え……ま、まあ、そうだけど……」  指摘されて気付いたのか、急に大人しくなる伊織。  というか、最初の時点で気付けよな。 「明日は久々のオフだろ? 最近忙しいんだから、たまの休日くらいのんびりしなよ」 「ア、アイドルには休日なんてないわよ! そういう時こそ自己研鑽に励むものでしょ!」 「……ホントに身体壊しても知らないぞ」  伊織の言うことがどんどん言い訳がましくなっていく。  まあ、それもいつものことだけど。 「それに、今度のライブのときにも仲良しアピールする話題が必要じゃないっ!」 「仲良しアピールって、例の“いつも私たち一緒に何々してまーす”みたいな、アレ? いつも伊織が勝手に捏造してるじゃないか」 「だ〜か〜ら〜、それが嘘だってバレないように既成事実を作るの!」 「いやそれ言葉の使い方違うし」  そんな事実作られてたまるか。 「とにかく、そんな気遣いいらないから、ちゃんと休めよな」 「〜〜〜っ……分かったわよ、このバカ!!」  顔を真っ赤にした伊織は、『バカ』の部分で事務所の窓がびりびり震えるくらいの声量で怒鳴り散らして、ずかずかと去って行く。  鼓膜が破れるかと思ったじゃないか。 「はぁ、これは大変ねぇ」  さっきまでのやり取りを聴いて……いや、特に気にしてなくても耳には入っただろう。  とにかくさっきまでのやり取りですっかり状況を把握した、小鳥さんがつつつーっと寄ってきた。 「本当、大変ですよ。伊織いっつもああなんですから」 「うん? ああ、まあ真ちゃんも大変だと思うけど。やっぱりこれは伊織ちゃんがねぇ」 「伊織のほうですか?」  うーん。  確かにボクも大分慣れてきたというか、今更この程度のことでカッカしたりはしないけど。  あんなにいつもいつも怒ってばかりじゃ、伊織のほうが大変かもしれない。 「でも、いつも喧嘩吹っかけてくるのは伊織のほうなんですよ」 「あら、そうなの?」 「ええ。最初はどうってことない雑談なのに、何故か毎回伊織が怒り出すんです」  今回もそうですし、と付け足す。 「参考までに、今日は何で怒ってたのかしら」 「伊織が『明日はオフだから、二人で服を見に行くわよ』って。なんかいつも衣装合わせのときとか、ボクのセンスが悪いって言ってたから」 「言ってたわね。センス磨きなさいって」 「でも正直服を選んでるのってプロデューサーですし……」  ちなみにプロデューサーの見立ては完璧。  ファンの人たちの印象も毎回好感触で、問題は全くないと自信を持って言える。  ……まあそれがボクの趣味と合うかどうかは、また別の話だけど。 「伊織もそれは知ってますし、だからセンスが悪いなんて言いがかりですよ」 「それじゃ、伊織ちゃんはどうして真ちゃんを誘ったのかしら」 「うーん……」  それがよく分からないんだよなあ。  伊織の性格を考えると、多分素直に本当の目的を口にしてるとは思えないし。  それでいて伊織が思いつきそうなことというと。 「あ、ひょっとしたら、いい服買って見せ付けたいのかも」 「……ほ、ほほぅ?」 「ありそうだなぁ。ボクに服のコーディネート教えるとか言って優越感に浸りつつ、最後はもっといい服を買って見せびらかす、みたいな!」  そうやって悔しがるボクの顔が見たかったのかもしれない。  子どもっぽいところあるからなあ、伊織は。 「えーっと……ねえ、真ちゃん?」 「なんですか?」 「ひょっとしたら、単に二人でお出かけしたかっただけ、みたいな発想はないのかしら?」 「えぇー、それはないですよ」  最近、ボクの顔を見るたびに睨んでくるし。  ボクとしては、こんな不仲な状態が、アイドル活動に支障をきたさないか心配でならない。 「でもほら、伊織ちゃんも、真ちゃんと仲良くなりたくて誘ってくれてたのかも!」 「うーん、それは考えにくいですよ、小鳥さん」 「ええっ、どうして?」 「だってこの前なんて、あいつボクにとんでもないもの食べさせようとしてきたんですよ」 「とんでもないもの?」 「ええ、何だか黒焦げで、どう考えたって食べられそうにない何かです」  そのときのことを思い出す。  にこにことやたら上機嫌の伊織。  ボクの前に差し出された、黒ずんだ何か。 『さあ、食べなさいよ!』  その一言で、ボクは確信する。  ああ、これは嫌がらせなんだなと。  きっと伊織的には、これを食べたボクがお腹を壊して苦しむ図を想像して笑いが止まらないんだろう。  でも普通そんなこと考えるか?  というか、考えてもコレで食べてもらえると思うか?  罠なのが丸見えじゃないか。 「……そ、それで、その料理は結局?」 「突っ返しましたよ。食べるわけないじゃないですか。どうやって調達したんだろ、あんなもの……」 「あの、真ちゃん、それ伊織ちゃんのてづく……」 「まあ伊織も詰めが甘いというか、やっぱり子どもなんですよね」  あっさり仕掛けた罠を見破られた伊織は、最初ぽかんとした表情で、次にはいつものごとく大声で怒り出して、最後は悔し涙まで見せた。  そんなになるほど渾身の罠だったんだろうか。 「で、でも真ちゃん? それはちょっと悪く受け取りすぎなんじゃないかしら」 「うーん、そうかなあ」  そういうイタズラはしょっちゅうあるんだけど。 「しょっちゅうなんだ……」  哀れね……と呟く小鳥さん。  確かに、いつもいつもイタズラの標的にされてるボクも少しは同情してもらいたいけど、哀れまれるほどのことじゃないと思う。  でも、一方的に伊織を責めるつもりもない。  生意気だから忘れがちだけど、伊織だって亜美や真美とそう変わらない歳だ。  そういう盛りなのかもしれない。 「小鳥さん、ボクは思うんです。伊織って実は、寂しがり屋なんじゃないかって」 「あら、意外」  本当に意外そうな顔の小鳥さん。  小鳥さんにとっても、あの伊織にそんな一面があるとは思ってなかったんだろう。 「いや、そっちじゃなくて、真ちゃんがそれに気付いたことが意外なんだけど……」 「…………? よく分かりませんけど、気付きますよ。だってボクは伊織の相棒なんですから」  三ヶ月とはいえ、伊織と過ごしたその時間の密度は他の誰にも負けていない。  だからこそ気付けるんだ。 「伊織がボクに突っかかってくるのも、寂しさの裏返しだと思うと納得いくんです」 「そうねえ」  小鳥さんも納得の様子で、うんうんと頷き返してくれる。 「今まで何もしなかったボクも良くなかったですけど、でもまだ遅くないと思うんです。だから!」 「ええ!」  ボクは気合を込めて宣言する。 「ボクは、伊織の姉さんになります!」 「……は?」 「小鳥さん、知らないんですか? 伊織って末っ子だけど、兄弟みんな歳が離れてるんですよ」  伊織がちょっと機嫌よく、一緒にカフェに行ったときに話してくれた。  伊織の歳の離れた兄さんたちはみんな働いていて、なかなか会う機会もないそうだ。  両親もやっぱり忙しいらしくて、小さい頃からあまり構ってもらったこともないらしい。 「ボクは兄弟とかいないから分かりませんけど……でも伊織にしたらやっぱり寂しかったと思うんですよね」 「そ、そっかぁ……そういう解釈になっちゃうんだ……」  765プロに来て、そしてボクとデュオを組むようになって、ひょっとしたら伊織ははしゃいでたんじゃないだろうか。  少し年上の、それも同性の人間と過ごす機会はほとんどなかったはずだし。 「だからボクに色々ちょっかいかけて構って欲しかったのに……ボク、最近はちょっと伊織への対応がいい加減になってた気がするし」 「ええ、そうね……うん」  なにやら「どう軌道修正すべきかしら……」なんて小声で呟いている小鳥さん。  ちゃんとボクの話聞いてるのかな……。 「それで、段々怒りっぽくなってるのかなって。だとしたら、やっぱりボクにも責任ありますよね……」 「……そうね、真ちゃんにも責任の一端はあるわ」  突如、俯き気味に何かぶつぶつ言っていた小鳥さんが顔を上げる。 「むしろ、ほとんどの責任は真ちゃんにあると言ってもいいわ」 「うぅ、やっぱりですか……」  ずばり他人に言われると、やっぱり気が重くなる。  でも、それはそうだ。  デュオのコンビとしての問題を、伊織一人に押し付けようとしていたボクの責任は、重いかもしれない。 「……よし、ボク、今から伊織に謝ってきます」  善は急げって言葉もある。  伊織が出て行って、まだそんなに時間も経っていない。  少し探せば、見つけられるはずだ。 「どうなるか分かりませんけど、とにかく一度、本気で話してみます!」 「そうしてあげて。是非」  うんうんと神妙に頷く小鳥さん。  そして一転、楽しげに目を細めると……イタズラ好きの子どものような口調で言った。 「ふふ、じゃあ真ちゃん。お姉さんが、とっておきの方法を教えてあげる」  そう言って小鳥さんは、ボクにその“とっておきの方法”を耳打ちした────── 「やっぱり帰らなかったんだ」 「……帰るところよ」  何となく、伊織がいそうなところを探そうと思ったんだけど、一発目でもう見つかってしまった。  事務所の近所にある公園。  まだまだボクたちが売れないアイドルだった時期、二人でよく暇を潰しに来た場所だ。  当時は二人並んで座っていたベンチに、今は伊織が一人で座っている。 「隣、いい?」 「イヤ」  あ、そう。  と言いながら、ボクは隣に腰掛ける。 「……イヤって言ったじゃない」 「本当に嫌だったら自分で立って行っちゃうだろ?」  伊織は答えない。  それが伊織の返事なんだって、知ってる。  だからボクは遠慮なく、伊織に寄り添って座る。 「何の用よ」  面倒くさそうに、そして突き放すように言う。  やっぱりまだ拗ねてるか、と内心ため息をつく。  まあ怒ってるっていうより、ボクの顔を見たくなかった、というように見えるけど。  でもここは年上として、小鳥さんに言ったように伊織の“姉さん”として、ボクが我慢すべきところだ。  ボクは、努めて明るく答えた。 「いや、ちょっと謝ろうかなって」 「遅い」 「手厳しいなあ……」  そういうやつなんだって分かってても、思わず閉口しそうになる。  けど、ここはボクのほうが折れなきゃ駄目だ。  伊織のお誘いを、ボクは無碍に断ったんだから。 「ごめん、伊織が買い物に誘ってくれたのに断って。悪かったよ」 「遅いってば」 「遅いけど、間に合っただろ」  だって、明日の予定の話だから。  でも伊織は首を振った。 「もういいわよ。やる気なくなっちゃった。明日は家で寝る」 「確かに休めって言ったけどさ」  やる気がなくなったっていうのは、本当かもしれない。  けど、家で寝るなんて本気でそうしたいと考えてるとは、とても思えない。 「分かった。じゃあさっきの話はなし。その代わり、伊織」 「イヤよ」 「聴けよ」 「イヤだってば!」  イヤ、を連発する伊織。  もうこうなると手が付けられない。  時間が経って、気持ちが落ち着くのを待たないと、とても話を聴いてくれない状態だ。  この意地っ張り、と呟きながらも、ボクはちょっと困った。  少なくとも、こうなった伊織がまともにボクの話を聴いてくれるのは、明日以降のことだろう。  でもそれじゃ遅い。  今、約束しないと。 (……やっちゃうか)  少し順番が変わっちゃうけど。  小鳥さんが教えてくれた、とっておきの方法。  ボクは覚悟を決めて、伊織の肩を掴んだ。 「伊織」 「な、何よ! 痛いじゃない!」  無理矢理にボクのほうを向かせる。  身をよじって抵抗する伊織に、ボクは。  そのおでこに、キスをした。 「……………………」  そっと顔を離す。  呆気に取られた伊織の顔が目に入った。 「……え、今、何したの?」  思考が止まったみたいに、状況を把握できてない伊織。 「キスしたんだよ。おでこに」  仕方なく言葉にして教えるボク。  ……やっぱり口に出すとちょっと、いや、かなり気恥ずかしい。 「ななな、な、何でっ!?」 「いや、親愛の表現……らしいよ?」  小鳥さんがそう言ってたままだけど。 「ば、バカ! バカバカバカ!!」 「バカバカうるさいなあ。ボクだって恥ずかしいよ」  伊織は口を極めてボクを罵るけど、その声にいつもの怒りの爆発みたいなものは感じられない。  多分、恥ずかしいのを誤魔化してるだけだ。 「何よ……何でそんなことするのよ……」  罵る言葉も尽きたのか、息を荒げながらも、少し落ち着きを取り戻した伊織。  ようやく話を聴いてくれそうな感じになってきた。 「さっきも言ったけど、ごめん。伊織の相手するの、適当にしてて」  そう言って、ボクは頭を下げる。 「悪かったと思ってる。許してほしい」 「……謝らないでよっ」 「分かった」  言われるまま、頭を上げて。 「明日、買い物に付き合ってよ」  今度はボクから、誘ってみた。 「どう?」 「……遅いわよ」 「でも手遅れじゃないんだ?」  返事はない。  それが伊織なりの、返事の仕方。  じゃ、約束だからと、ボクは笑った。 「初めてよ」 「何が?」 「……………………」  何か口にしようとして、伊織は躊躇った。 「……あんたからどこか行こうって誘うの」  その言葉は、なんだか最初に口にしようとしたのとは違うもののような気がしたけど、それでも構わないだろう。 「伊織が誘いすぎなんだよ」 「でも、もうちょっとバランス取れるように気を付けなさいよね!」 「分かったよ。今度からは、ボクから誘うようにする」  妹にワガママ言わせるより前に構ってあげるのも、“姉さん”の役割だよな。  今までの分を取り返すくらいのことは、してあげるべきだろう。 「約束よ!」 「うん、約束だ」  それから、伊織はようやく笑った。 「じゃ、明日は可愛い服買うんだからね!」 「あれ、ボクのセンスは悪いって言ってなかったっけ?」 「あ……だからそれは……そ、そう、私が教えてあげるから、いい服選びなさいよねって意味よ!」 「そっか。ボクは伊織とお揃いの服でいいんだけどなあ」  一緒の服着て歩いてたら、本当の姉妹に……は見えないかな、流石に。  けど、それを聞いた伊織は耳まで真っ赤にして、 「〜〜〜っ、この、バカーーーっ!!」  耳元で怒鳴られた。  ……そんなに怒られるようなこと言ったかなあ。  後日、そんなやり取りがあったことを、真に聞いた。  思わず笑ってしまったが、当の真はやっぱり何で笑われてるのか分からなかったらしい。  不思議そうな顔をする真を適当にあしらってから、俺はもう一度小さく噴き出した。 「あら、プロデューサーさん、ひょっとして聞いちゃいました?」 「聞いちゃいました。いやはや、小鳥さんもひどいことをする」 「心外です。私はちゃんと本当のことを教えてあげただけなのに」 「でも真実は教えてないでしょう」  小鳥さんが真に教えた、とっておきの方法。  額へのキス。 「まあ、確かに“親愛のキス”ではありますが」  その意味合い的には、特に友情を意味する。  まあ同性間でしても、意味は通じるのだが。 「伊織が、恋人がする最初のキスは額に、って言ってたのを忘れたわけじゃないんでしょう?」 「はてさて、そうだったかしら?」  笑顔。  本当に意地の悪い人だ。  と思う俺も、多分同じような顔をしてるんだろう。 「いいじゃないですか、結果的に仲良くなったみたいですよ、二人とも」 「そうですね。プロデューサー的にも結構なことです」  スキャンダルになったりしないといいけどねえ、なんてことを、ちょっぴりだけ真剣に思ってみたり。  まあ、そのときはそのとき。  人生日々、善き哉善き哉。