1.海辺の風  夏の盛りはとっくに過ぎたはずなのに、日差しは真夏のそれと大差なかった。お天道様は、水着やボディースーツしか着ていない観光客にもっと薄着をさせたいのだろうか。  あれから私は、いつもどうり母に起こされ、朝食を食べてから3人に連絡を入れた。早いかとも思ったが、三人とも起きていた。4人の中で、朝が弱いのは私だけだったようだ。しかし、暇なのは皆同じらしく、こうして4人そろって季節外れの海水浴に足を運ぶことができた。  私達は今、海沿いの国道を自転車で走っている。火照る体に海風が心地いい。すると三人のうち一人が、やや不満そうな声で言う。 「てかさー、ウチ一昨日家族で海行ったばっかなんだよねー。」   彼女の名前は「ヨシ」、染井ヨシ。同級生で、クラスは隣。去年同じクラスのときに仲良くなって以来、今でもよく遊んだりする。根はいい子なのだが、少し跳ねっ返りでがさつなところがあるので勘違いされがちだ。かくいう私も最初は怖い人だと思っていた。  気のせいかもしれないが、クラスが変わって半年、彼女は少し変わったような気がする。それは、成長した、大人になったというのとは少し違う。クラスが違うからなんともいえないが、彼女自身の立ち位置そのものがが大きく変わってしまっているのではないか、と思う。確かめるすべは無いが、このまま彼女が私から離れていってしまうと思うと、少し寂しい気持ちになる。 「いいじゃん、二日連続で泳げて」  彼女は「実莉」。本名は松平 実莉。去年に引き続き私と同じクラスだ。こいつはいわゆる運動馬鹿で、頭も筋肉になってしまっている節がある。よく言えば裏表がなく、単純。それはヨシにもある意味共通することだろう。  ヨシとみのは仲が良い。似た気質のもの同士、気が合うのだろう。そこに文子加わる。 「えっ、ヨシちゃんふやけてクラゲになっちゃうよ!」 こころの底から(何の疑いもなく)こんな台詞が言える人間はそう居まい。彼女は岩波 文子(フミコ)。通称フミ。こいつが何か言うとかなりの割合で会話が中断する。あの強烈なマイペース(天然とも)は他の3人には無いものだろう。ほんと凄いと思う。  そうこうしているうちに、サーファーや海水浴客の集まりが見えてきた。 「うわっ、夏休みも終わりだって言うのに・・・」 というか、お盆過ぎなのにいいのだろうか。 「罰当たりどもめ」  実莉ちゃん、それは私たちの言えることじゃないよ。  私達は国道をそれて海岸とは逆の防砂林に入っていく。国土地理院の看板が目印だ。海から離れてどうする、と思うかもしれないが、これでいいのだ。  私達は、松やら竹やらが無造作に生えている防砂林の中を歩く。足場が悪いので自転車からは降りている。  薄暗い防砂林は、徐々に上り坂になっていく。私達は海沿いの山を登っているのだ。 「はー、しんどい・・・」 ヨシが弱音をはいたところで下り坂が途切れ、海岸線が見下ろせる開けた場所に出る。 「おおー、結構登ったねぇ」  ヨシが今までの苦労を忘れたように言う。  この高台からは、海水浴客とサーファーで混雑した国道沿いの海岸が見える。目的地はまだ木の陰だ。 「さ、早く行こう。後は下りだけだよ」  海への期待が私の胸を高鳴らせ、口を動かした。  登りに比べて、くだりは余りにも短かった。登山家なら満足しないだろうが、今はそれでいい。  私は自転車で坂を駆け下りる。ブレーキは掛けない。少しでも早く、海を見たいから。後ろの3人がついて来なくても関係ない。  頭上を覆っていた松の枝がなくなり、タイヤが砂に埋まった。砂浜の砂だ。 「・・・・・うみ」  生まれてから今日まで何度も見ているはずなのに、なぜだろう。海がこんなに愛しく見えるなんて。  私は文字どうり、海に見とれていた。 「て、あ、危なーい!!」  美しい海岸に実莉の声が高く響く。・・・実莉の声? 『邪魔ぁぁぁぁ!!』  海の余りの美しさに忘れてしまっていた。Cが私のすぐ後ろを走っていたことを。  私は吹き飛ばされ、実莉も飛んだ。冗談にならない"ぐきっ"という着地音がした。下が砂浜でなかったら死んでいたかもしてない。いや、自転車と人間が上に乗っかっているのだから実際あまり助かっていない。 「あいたたた・・・楓ったら、急に止まるんだもん」 『その前に、どいてくれると・・・うれしいな』 「あ、ごめん!・・・・・よっと」 『ほあぁぁっ、ハンドルがっ、腰にぃぃっ!!』  凄い声が出てしまった。隣の海岸にも響いたかもしれない。  何だかんだあったが、とにかく海岸には着いた。予想どうり人は殆ど居ない。というか誰も居ない。空いているのにはそれなりの理由がある。まず狭いこと(ドラえもんの映画に出てきた砂浜を思い出していた頂ければ)。パッと見普通の小さな砂浜だが、不気味なことに何かを祀っていたであろう朽ち果てた祠(ほこら)らしきものがあるのだ。山を背にしているせいか、朽ちてもなお威厳を失っていない。話によると、海岸沿いに国道を作る話が持ち上がったときも、ここは最初からよけて通るコースになっていたらしい。小さい頃はこれが恐ろしく見えたものだ。いや、今も少し怖い。地元民が寄り付かないのはこの祠のせいが大きい、と私は思う。 「お盆過ぎだから心配したけど、泳いでも心配なさそうだね。」  文子が言っているのはクラゲの事だろう。例年どうりなら水温が下がってクラゲが出てくるのだが、今年は心配なさそうだ。水着だけで泳いでいる観光客が何よりの証拠だ。  私達は自転車を一箇所に置くと、水着とバッグを持って林の中に入る。普通の浜なら、観光収入目当てに最低でも一つは海の家などがあって、そこに脱衣所なんかがまとめて入っているだろうが、何せここはプライベートビーチだ。そんなものはない。中学生にもなる身としては不本意だが、この砂浜を独占できるのならこれぐらい何でもない。そもそも独占しているのだからのぞかれる心配がない。こんな閑散としたところで覗きもないだろう。  私が一番に着替え終わった。(服の下に水着を着ていたので、厳密には着替えではないが)着替えそのままの勢いで林を飛び出し、砂浜を駆け抜け、海へ飛び込む。 「ひっ!冷たいぃっ!」  一気に突っ込みすぎたのがまずかった。幸い心臓は止まってないが、危なかった。だが、冷たいのは一瞬だった。慣れてくると分かる。なんて気持ちがいいんだろう。海が私を包んでくれているようだ。 「楓ちゃーん。まってよー」  文子がこっちに走ってくる。 「早くきなよー。きもちいよぉー」  うん。と言いたかったのだろうが、足がもつれて彼女は転倒した。  後ろから歩いてきたヨシと文子が実莉に声を掛ける。 「大丈夫!?」 「ぶmm。わひzぷn。」  言葉になってない。彼女の顔は砂だらけで、まるでイムホテップだ。 ヨシがお茶の入ったボトルを渡してあげる。念入りに口を漱いだフミは、すーっと深呼吸をする。 「ふーー。ありがとう。そういえば人間って消化のために砂が必要なんだって、テレビで言ってたよ。」  何を言い出すんだこの娘は。 「え?」 「健康にいいのかな?」 「いや・・・」 「長生きしちゃったりして!」 「多分、それ・・・鳥の話・・・だと思う」  砂肝のことかな。  相変わらすスゲーな。本にまとめたら売れそうだ。  海は暖かく透き通り、泳ぐのに不自由はなかった。  文子と実莉は砂のお城を作っている。文子が砂で姫路城をつくろうと言い出した時は、子供っぽくて恥ずかしいと言っていた実莉だったが、いざ始めると無口になるぐらい真剣になっていた。案外楽しいのだろうか。  ヨシは『散歩』と言い残し何処かへ行ってしまった。  私はと言うと、砂の姫路城の屋根裏に名前を彫っても良かったのだが、『海に来た以上泳がなきゃ』と言うことで海を泳ぐことにした。何より今日の穏やかで優しい海に浸かっていたかった。  全く海は素晴らしい。傍から見れば荒々しくて恐ろしいが、本当はとっても優しいのだ。潜ってみれば波はなく、微かな流れがあるだけで、何とも心地いい。海水にもテレビ(噂の東京マガジンとか)で見るような濁りはなく、柔らかい日差しが注ぎ込んでくる。場所によっては魚と戯れることすらできる。さすがに南国のようなカラフルな魚はいないが。詩的な表現を使えば、『流れが奏でる歌に合わせて、私は海とダンスを踊った』と言ったところだろう。本当に来てよかったと思う。  私が水面から顔だけ出して呼吸を整えつつまどろんでいると、ブルルッという震えが体を駆け抜けた。近くにニュータイプがいたわけではない。 「トイレ・・・」  あれからどれだけの時間泳いでいたかはわからないが、太陽の加減から考えて二時間弱はたっているはずだ。しかもずっと水の中に居たのだ。むしろ今まで催さなかったのが信じられないぐらいだ。そこまで楽しかったのだろうか。 「ここで・・・いや、だめだめ」  自分が潜っているところでってのは、あまりいい気がしない。それに、何かが『ダメだ』といっているような気がする。第六感みたいなものが働いてるのだろうか。  とにかく私は岡に上がることにした。あまり時間的な余裕がない。といっても、荷物がある場所はBとCに会ってしまうので気まずい。だから私はそこから少し離れた岩場に向かうことにした。 「よっこら・・・っ!・・・・・これが、地球の重力なのか(カミーユ)」  陸に上がる瞬間、全身に重力がかかることを考えてなかった。それに、外圧も半分になる。危うく間抜けな失敗を犯すところだった。  重力にも慣れたところで私は周りをたしかめる。誰かいたらこっちに来た意味がない。 「・・・・・うわ、どうなんだろこれ・・・」  人がいた。一組の男女が。しかし、遊んだりしている風ではない。男が岩に腰掛、女がそれにまたがってる。始めは抱き合ってるように見えたが、違った。 「ってこれ!・・・・・」  男女は、(真昼間だけど)夜の営みを営んでいた。用はビーチセックスだ。場所が場所だけにそう珍しいものでもないと思うが、それとは別に私には気になることがあった。なんと、女のほうに見覚えがあるのだ。 「・・・・・ヨシ?」  いや、間違いない。あの水着と髪留めには見覚えがある。そういえば、姿を消す前Aは携帯で電話をしていた。ああ、まずいものを目撃してしまった。なんとも気まずい。これは中身が中身だけに誰にも相談できそうもない。いや、そもそも誰かに相談する必要があるのだろうか。Aに彼氏がいるのは本人の口から公表済みだ。いやいやそうじゃなくて、私の精神安定のために・・・とりあえず落ち着こう。   それからは、海を楽しむどころではなかった。あの光景−ヨシが見知らぬ男の人と激しく−が、頭から離れなかった。もう泳ぐ気にならなかったので、休憩がてら安土城(姫路城は海に沈んだらしい)の装飾を手伝って残りの時間を過ごした。何をやったかは殆ど憶えてないけど。  それから程なくして、ヨシが戻ってきた。何ともなさそうなので、ひとまず安心する。全くもって杞憂と言うものだと、自分に言い聞かせるが、14歳の少女には仕方がないのだとも思う。  その後はやることがなくなったので、もう帰ることにした。お開きである。 「・・・・・」  疲れと、ショックが相まって喋る気がしない。帰り道、私とヨシはほとんど無言だった。方や文子と実莉は、お城の完成度の話で盛り上がってた。 「私としては、万里の長上がいいとおもうなぁ。ね、楓ちゃん」  文子が話を振ってくる。 「・・・え、ああ。そうだね。」  生返事しか出来ない自分が情けない。そんなに凹むことじゃないと思うのに。 「楓、よっぽど疲れたんだね。あれだけ泳げば無理もないか。」  実莉の配慮だろう。どういう意図かを度外視してありがたい。 「そういえば、ヨシちゃんは散歩どこまで行ったの?」  それは!・・・いや、今ここで私が動揺したら、ヨシは私が見ていた事に気付いてしまうかもしれない。文子と実莉がそれを不振に思うのはなお悪い。私はただ、知らないふりに徹すればいい。 「そんなに遠くには行ってないよ。」  そうだ。当たり障りのない返答をしていればいい。 「そうなんだ。連続じゃ泳ぐ気しないもんね。楓ちゃんはどの辺りで泳いでたの?」  文子が再び話を振ってくる。ヨシの話口から気まずさを感じ取ったのだろうか、それとも偶然か。どっちでもいい。  「うん、結構沖の方まで行った。」  と、ここで分かれ道だ。私はここからは一人でかえる。いつもならみんなについて行くところだが、今日はとてもそんな気分にはならない。実莉と文子は何か言っていていたが、憶えていない。  とにかく、早く帰りたかった。