渡り廊下を通り、中庭へと抜ける。
円状に配置された校舎、その真中、吹き抜けのような構造で中庭が存在していた。
少しばかり風が冷たい。
冬ならではの木枯らし、場所によってはそろそろ雪も降る季節ということだろう。

中庭はかなり広いスペースが取られていた。
真ん中に巨大な尖塔があるものの、先程パレードが行われたグラウンド2つ分を超える面積を持っているだろう。
生徒や外部参加者が思い思いの出店形式で客を呼んでいる。
食べるものには困らなそうだ。
ルナリアが一歩二歩、手を引いて尖塔に手を掲げた。


「あの塔が本校の目玉になります、魔術研究棟になってます。この学園で一番高い建物なんですよっ。」


彼女の誘導を受け、尖塔を見上げる。
他の校舎よりもかなり高い。
材質は黒曜石か何かだろうか、黒く高い塔は円錐型に螺旋を描いていた。
魔術の研究棟というくらいだ、何かしら意味があるのかも知れない。


「へえー……ホントに結構高いね。面白い形してる。」


確か――こういった形の塔は地球にも存在していたはずだ。
中東辺りか。
そう、確か――


「マルウィヤ・ミナレット」
「えっ?」
「いや、そういう名前の遺跡が俺の世界にはあるんだ。」
「塔の材質は違うみたいだけど、形はそっくりだと思うよ」


今度は俺が先導する形で塔に近づく。
塔の外壁、等間隔に紋様が施されているのが分かった。
何かしら魔法的な防御をかけているのだろう。
遠方には扉があり、警備が立っているのが見える。
どうやら立入禁止らしい。


「俺の世界でもそれなりに有名な塔でね。逸話も色々と残ってる」
「バベルの塔――とかね」
「あ。聞いたことありますっ。」


目を見開いて多少の驚きを示す。
施設の概要から、どこかに繋がりがあるのかも、とは少し感じていたが――


「ふぅん? そっちにもそういう話が残ってるってこと?」
「あ、いえ――」


どうも少し事情が違ったらしい。
少し焦りすぎたか。
黙って彼女の続きを促す。


「私の国には結構異世界の文献も残っていますし、かつてそういうお話を聞いたことがある、という感じですねっ。」
「そっか、ありがと。」


バベルの塔。
旧約聖書の創世記に残っている有名な逸話。
神に挑むが如く天まで届けと建てられた塔とその崩壊。
マルウィヤ・ミナレットは、その塔のモデルであったとも言われている。
人々の言語が多様になった原因とも言われるその話の教訓を、彼女は知っているのだろうか。
魔術の探求に挑むというこの塔が、皮肉にも神話と重なった。


――不意に、周りがどよめく。
俺たちは話を切り上げてそちらに視線を向けると――


「――」


小柄な少女がどんどんと店のメニューを『消して』いた。
やがてことん、と皿を置くと周囲からざわめきの声が上がる。
彼女の後ろを見れば倒された屋台が累々と……
どうもこれが原因らしい。


「……」
「……」
「攻略完了、と……。大したことない相手だったわね」


彼女はハンカチで口元を拭うと、煩わしそうに周囲に視線を送る。
冷たい視線。
10かそこらの少女がするような目ではない。
この世界では容姿に見合わぬ年齢のコも多く見かけるが、彼女もその類いということか。


「マナの補充には便利だけど……こういうのは面倒ね、忌々しいわ」
「注入するマナの総量を増やさなければいけないわ……不測の事態にも備えないと」
さ、次の店に行きましょう


爪でもカリカリ噛んでそうな雰囲気。
勿論そんなことはやってないが、彼女は呟きを止めると颯爽と次の屋台の攻略へと繰り出した。


「……、俺らもそろそろ食事しようか」
「そ、そうですねっ。」


緑色の少女が向かう末、それを避けて俺たちはそそくさとその場を離れた。
中庭に来た目的は、確かに食事であったのだ。


*


何事もなかったかのように、俺たちは中庭を散策していた。
彼女は店舗の許諾にも関わっているのか、屋台の解説を頼めばすぐに何を取り扱っている店なのか応えることが出来た。
本当にガイドとしても優秀な話である。
この文化祭を見るにあたって、案内役という点でもこの人選は当たりだったのかも知れない。

そのうちに中庭の中でもえらく喧しい――悪くいえば装飾的にもごちゃごちゃした一角へと辿り着いた。
4種の別の文化が競い合っているというか、不思議な空間だ。


「ここは――」
「そこの貴方!」
「おっ?」


腕を思い切り抱き寄せられる。
驚きで、繋いでいた手が離れた。
柔らかな感触――と思ったのも束の間、返ってくる感触は平坦なものだった。
視線を返せば、そこにいたのは見知った顔。


「アナタがた、わたくしのお店に寄られていきませんこと!?」
あーーっ! オデコさん、ズルい!」
「オデっ、――ッ、何度言えば覚えるんですの花頭!」


腕を掴んだままスプリと言い合いを始めてしまう。
遠くにやや疲れた様子のステラが小さくため息を吐く。
褐色の女性がこちらに流し目送り、手際よく接客に戻っていった。


「ここは――」
「あ、アンテセラのブースですねっ。」
「あー、おd……オリヴィア?」
「――、何かしら?」


困った様子で固まっていたルナリアが解説をくれる。
彼女が嫌う呼び名を言いよどめば、ギリギリと腕が締め付けられた。
どうやら、彼女の注意は引けたらしい。


「えーと、ここは何を出してくれるのかな?」
「よくぞ聞いてくれました!」
「当店では、伝統あるギスランタリ料理を振舞っておりますわ!」
「オレンジさん! こっちはサウストラリア料理ですよ!」
「――アンテセラ加盟国各国の特色に合わせた料理を出し物に、という申請がありましたねっ。」


なぜか胸を逸らすオリヴィア。
うまい!とか書かれているプレートを掲げてこちらの気を引くスプリ。
視線を送るだけで解説を返してくれるルナリア。
いいかな、という視線を送ると、彼女は頷きを返してくれた。
気の利くことである。


「あー、スプリちゃん、ごめんね。今回は先着!」
「やった!」
がーん!
 
 ……こ、後悔しないでくださいよぉ~!?」


妙な捨て台詞を吐いてその場を離れていくスプリ。
なんだそれ、どういうことだ――、と思いながらも席に案内される。


「……ん?」
「……」


なんというか、スペースの席比がえらく偏っているような……。
率直に言って、オリヴィアのところだけ客が少ないというか。
少ない客席の目が死んでるというか……これは、ひょっとして。


「メニューになりますわ」
「あ、どうも」
「…………」


メニューを受け取り、二人で目を通す。
奇妙な緊張感。
嫌な予感を共有しているような――いや、まぁいい。
お互いに目配せしあい、無難そうなランチを選択する。
どうもルナリアはベジタリアンらしい。
肉や魚を避けるレパートリを頼んでいた。


だが、この選択が――
俺を死に誘う選択であるとは未だ想像にも及んでいなかったのだった……


どんと盛られた料理の数々に、俺はだらだらと内心に冷や汗をかいていた。
ルナリア側に盛られたものに比べ、こちらに盛られたものは量が倍を越えている。
当然だ、あちらにはメインがない。

……いや。
それだけならいい。
下手に知識があるのがいけない。
逃亡不可能な状況、考えられる被害をある程度予測できるのだ、忌々しいことに。


「男性はたくさん召し上がられると思いましたから……サービスですわ」
「そ、そう。」


アンテセラの加盟国家は地球と随分と似ている部分がある。
ヒノモトと呼ばれる国家は日本に酷似した部分があり、アンテセラ加盟国はヨーロッパにどこか類似している部分があった。
問題は、ギスランタリと呼ばれる国家だ。
ブーツ地方、と呼ばれる地方、そして動画で解説されていた穏やかな気質。
そこからイタリアをイメージしていた俺が愚かだったのかも知れない。
ティータイムの慣習について解説があったではないか。
つまり、ギスランタリの食生活は、イギリスに類似しているのだ!


「……これは?」
「フィッシュアンドチップスですわ」
「これ」
「ミートパイ」
「これ」
「うなぎの煮凝り!」


水を得たように解説される料理の数々。
確かにどれも代表的なイギリス料理だ。
ベイクドビーンズ、スコッチエッグ、ハギス――
やばい、どれも分かる。

いや待て、落ち着け。
必ずしも味が似たようなものになっているとは限らない――
噂はあくまでも噂だ。
が。


「そういえば――君の国はどんな料理を食べてるの?」


逃げた。思わず逃げてしまった。
ルナリアは小首を傾げて質問に答えてくれた。


「ブロードゲトライデ、という言葉があるくらいでして――、パンを主食にしてますねっ。」
「他の料理は――少し雰囲気が似ておりますでしょうか」


ちらりとテーブルの上を見つつ彼女はそういった。
やはり、彼女の国はドイツに程近いイメージを持っているのだろう。
言語的にも、文化的にも。

それにしても……
随分と気を回した表現だ。
そこで給仕に立っているオリヴィアに気を使ったのだろう……そう。
みてるのだ彼女。
他に客が入ってこないから。


「まぁ、それじゃあ――頂きます」
「では私もっ。――頂きます。」
「ああ、知ってるんだ??」
「食前の挨拶ですよねっ。私も気に入ってますっ。」


小さな手のひらを合わせたのを確認し、お互いにナイフとフォークを手に取った。
二人とも特にマナーに問題なく食器を操り、口に入れる。
瞬間、なぜかアンモニア臭が鼻についた。


「……いかがですか?」


不安そうに、オリヴィアが尋ねてくる。
俺は口の中のものを飲み込み、淡々と次のひと口に移った。
見れば、ルナリアも小さな口を懸命に動かしている。
加熱のし過ぎか、野菜は味を失っている。
大味。そして淡白。
何しろ彩りがなく、白か茶色、きつね色。
何れかで皿が満たされている。


「こういったお味は初めてですけど……中々興味深い感じですね! うん、こういう発見が出来るのはとても楽しいです!」


言いながら、彼女は食器を動かす。
笑顔のまま、いやに多弁だ。……味には一切触れていないが。
見習わなければならないだろう。
ここで負けては男の名折れだ。


「うん、うまいよ。流石だね。」
「!」
「サービスですわ。お代は同じで構いません。お代わりして下さっても構いませんから!」


やばい。地雷を踏んだ。
引きつった笑顔のままアイコンタクトを交わす。
分かってる、俺が食べるよ。
俺たちは何も考えぬまま、無心に手を動かした――


――――――

――――

――


オリヴィアの礼を背に受けて、俺たちはアンテセラのブースを後にした。
背に受けた視線に、ある種の尊敬すら混じっていたのは気のせいだろうか。
幸い、出された紅茶は美味しくて助かった。


「いやー、ひどい目にあったね。口直し位はしたい所だけど……」


呟くが、彼女はそれに触れてくれるな、といった様相だ。
それにそもそも――


「あのっ。午後からは――」
「あれ、そっか。また何かあるのかな」
「はいっ。友人の所でお手伝いの約束をしてまして……」


随分と過密したスケジュールのようだ。
立場上致し方ないことかも知れないが、よくこちらの申し出を受けてくれたものだと思う。
手元の時計を確認し、地図を見る。


「時間は、そうだね、急ごうか」
「す、すみません、ばたばたしてしまってっ。
 何でしたらこちらを優先させて頂くようにお願いしようかとっ。」
「――、嬉しいけど」
「そっちの方が先約だったんだろ?」


話を続けるうち、少しずつ彼女のことが分かってくる。
時間の管理はある程度信用しても良さそうだ。
自分でなんとかカバーできる範囲までなら無理を重ねてしまう。
こちらを優先するような提案をしてくれたのは嬉しい誤算だ、けど――
そういう言葉に甘えるにはまだ早い。


「送ってくよ。無理しない程度に急ぎで、ね。食べたばかりだしさ。」
「はいっ、ありがとうございます。」
「おっと、聞いてなかったね。
 妖精さん、どちらに案内してくれるのかな?」
「ふふ。移動式喫茶リシーハット、ですわ。」


*


「うーわー、大盛況って感じだねえ。大丈夫かな」
「……ちょっと忙しそうですねっ。」


お昼時、見た顔の店主があくせくと働いている。
少し早めに昼食をとって正解だったかも知れない。
この状況でカワイイお手伝いを拘束してしまっては、さぞかし恨まれたことだろう。


「それじゃあ一旦お別れってことで。夕方に人形劇があるんだっけ」
「そうなりますっ。申し訳ないんですけれど、次時間が空くのはその頃に……っ」
「いやいや、こちらこそ無理言っちゃったからね」
「明日もあるし、ね? 人形劇、楽しみにしてるよ」
「はいっ、ありがとうございますっ。」


律儀に頭を下げて、彼女が店内へと去っていく。
もののついでだ、口直しはここで行うとしよう。


「一人なんだけど、入れるかい?」
「いらっしゃいませ!」
「あれ、来てくれたんだ? ゴメンね、忙しなくてさ! 相席でいい?」
「はいよ。こっちこそゴメンね、忙しいときに。」


店主は手際よく、テーブル席の一つから相席の許可を取る。
どうもカップルのようだが、流石に配慮できる程の客入りではないようだ。
手招きしてこちらの席を案内すると、彼女はまた慌ただしく鍋のほうへ戻っていった。


「申し訳ないね、お邪魔します」
「気にするな、仕方ない」
「どうぞどうぞ!」


ふたつ、声が重なる。
気のあった返答に苦笑すると、女のほうはあわあわと顔を赤くした。
これだけのやり取りで、なんとなく二人の関係が見えてくるものだ――


「……あれ?」
「あっ。」
「……なんだ、知り合いか?」
「まー、そんなトコだね」
「奇遇だね、カロリちゃん。デート?」


所謂美男美女、そんなカップルの片割れは知人のアイドルだった――、などと。
なんというか、間の悪いところに遭遇してしまったのかも知れない。
色んな意味で。


「デッ……! そ、そんなこと」
「違うぞ。ちょっとした偶然だ。俺が相手じゃ、彼女に失礼だろう」
「……、」
「……」


そんな対応を見せられても困るのだが。
こういう気の置けない男が顔を武器にした鈍感男、というやつなのだろう。
異性として付き合う女は大変なんだろうなという気がしないでもない。

丁度良く、店員が注文を取りにやってきた。
ひらひらと手を振って呼び寄せる。
先ほど別れたはずの彼女――ルナリアは、ここの制服に身を包んでいた。
青を基調とした長袖の制服に裾の膨らんだズボン。
エプロンにはうり坊とリシーハットの名が刻まれている。
動きやすいようにくくられた長い髪は、先とは違う新鮮さを見せてくれた。


「それ、ここの制服? よく似合ってるよ」
「ふふふ、ありがとうございます。ご注文は何にしましょうか?」


メニューと相席の二人が食べているものを見比べ、軽く指を弾く。
スパイス=ユハ、とかいう大鍋に入った郷土料理とニルギリを注文すると、彼女が悪戯っぽく微笑む。


「セプト=ポッタはいかがですか? 7つの壷からおひとつ選んで……」
「ストップ。……わざといってるよね? そういうのはもういいからさ」
「はあい、ご注文を――」
「ああ、あとうり坊ワッフルっての、俺のにつけといて。疲れてるでしょ? 仕事終わってから食べなよ」
「まあ……」
「ふふふ、ありがたくお言葉に甘えますね」


軽い歩調で去っていく彼女を見送ると、なぜか同席者の二人がじっとこちらを見ていた。
少し呆れの混じった目線。
促しを送ると、男のほうが感心と呆れを半分ずつ混ぜて言葉を濁した。


「なんか、手馴れたもんだな」
「ん、そう? 何が?」
「――ああ」
「カロリちゃん、今日はいつもと違う――制服みたいな感じだね」
「ブレザー? そういうのもいいね。カワイイよ。」
「え? う、うん。ありがとう……」
「――あれ。なんか微妙な反応? まずっちゃった?」
「そういうんじゃなくて―― 今みたいなの見ちゃうと、ちょっとフクザツ……」
「えー? なにが。
 別に普通だろ?」


運ばれてきた紅茶を笑顔で受け取り、ニルギリの香りを楽しむ。
食前に指定した紅茶。
癖のない穏やかさな香りは主張に薄く、お茶をメインにしない時には随分と助かる。


「別に社交辞令ってわけじゃないよ? ホントにそう思ってるんだから。」
「カロリちゃんは自信持っちゃっていいのよ?」
「――っ、そうじゃなくて、もう。また――、

 あっ!」


俺の言葉に慌てたのか、食器を操るカロリの頬にソースが跳ねた。
俺が対応する間もなく、程近い席に座る男が彼女の頬を拭う。
保護者と子どものような関係、といったところか。
少なくとも男はそんな意識には薄いようだ。


「――」


話が逸れた隙、運ばれてきたスープを啜る。
素朴な――、いや、素朴風な煮込み料理といったところか。
ここのレストランなりのアレンジが加わっているのだろう。
様々な味が舌先をくすぐる。
成程、噂に聞く移動式喫茶とはここのことなのだろう。
いい味を出してくる。


「さてと」
「あ、あれ? 食べるの速い!」


ナプキンで口元を拭うと、俺は淀みなく食器を置いた。
残った紅茶で喉を潤す。
一人だと、自分のペースで食べられるのがいい。
口直しには無事成功した。
まぁ、あれほどのものは余程じゃないと出てこないだろうが。
目を丸くするカロリを他所に、席を立つ。


「混んでるしね。それに――」
「邪魔しちゃ悪いし?」
「!」
「エスコートは頼むよ、色男」
「じゃ、またね」


ルナリアを始めとした馴染みの顔に会釈し、会計を済ます。
忙しい最中にひらひらと手を振る店主に、手を振り返し、店を後にした。
ちょっと急ぎすぎたかも知れないけれど、構わないだろう。
この時間帯にあまり長々と席を占有するものでもないのだ。
回転が速いのに越したことはない。


*


店から少し離れ、邪魔にならなそうな所でマップを開く。
人形劇が始まるにはまだいささかの時間がある。
その間をどうするか――少し空白が出来てしまった。


「どうしようかな。前もって色々と下見するのも悪くないけど」


地図の端末を開いてみると、現在どの辺りにいるのか光点が示された。
成程、GPSの機能を利用しているのだろう、かなり便利な話である。
見ればおおまかな公式イベントのスケジュールも網羅されている。
これまでルナリアに頼りっぱなしでこの地図は必要なかったが、結構有難い事だったようだ。


「うー……やっぱり違和感あるなぁ。ね、これおかしくない?」


喧騒の中、廊下の隅っこの辺りで青い髪の少女が耳や尻尾を弄っていた。
猫耳と猫しっぽ。
この世界では珍しくないが、猫人間ということだろうか。
その割に、髪の毛と耳や尻尾の色が違うけれど、その辺りはよく分からない。
種族的なものかも知れないし。

彼女は背中にトカゲを背負い、何がしかを話しかけている。
喋る爬虫類……もこの世界では今更な話である。
彼女が耳や尾を気にするたび、短いスカートが翻った。


「そんなに気にしてると逆に目立つよ」
「え?」


くるりと振り返る彼女は、透き通る青い髪に同じ青い眼をしていた。
この世界にきて他にも青髪青眼の子に会ったことはあるけれど、色合いが違う。
目の前の彼女のほうが若干明るい色をしている。


「あの……?」
「いや、隅っこのほうでなんかやってるからさ。逆に目立ってるよってこと」
「見てたんですか……恥ずかしいなぁ」


きょろきょろと辺りを見回す。
もしかしたら何人かと眼でもあったのかも知れない。
落ち着かなさげに眼を逸した。


「んで? どうかしたの? やけに耳とか尻尾とか弄ってたけど」
「ちょっと、慣れないアクセ付けたから、違和感があって……」


言葉を濁す彼女に視線を向ける。
どうやらあの猫耳と尻尾はアクセサリーらしい。
なぜ付けておいて恥ずかしがっているのかは、よく分からないけれど。


「なんで。カワイイじゃない」
「そ、そうですか? 友だちにもらったんですけど……」
「こういうのってさ。
 気にしすぎるから目立つと思うんだよね」
「周りには獣人とかも珍しくないからさ、堂々としてればいいんじゃない?」
「なるほど……」
「キュー」


トカゲと二人で頷き合う様子に、笑いが漏れる。
彼女の様子から見ると、やはりこのカメーリエ分校のある世界とは馴染みのない世界出身なのだろう、とすると。


「君もやっぱり救援者ってやつ? 今日は息抜きかい?」
「私ですか? 私はどちらかというと行商人に近いですね」
「ここではちょっと出来ないんですけど」
「ふぅん?」
「今日はここでフリーマーケットとかあるって聞いたんですけど……」
「フリーマーケット、ってのはここの公式のやつかな。
 それ、確か明日じゃなかったっけ」


端末を操作し、イベントスケジュールを呼び出した。
それによると、確かにフリーマーケットは2日目の午前から、と予定されている。


「え"っ、やっぱりそうなんですか? どおりで……」
「……みたいだね。入り口でマップ配ってたけど貰わなかった?」
「お恥ずかしながら…… ど、どうしようかな」
「――」
「じゃあ、少しだけ一緒に回るかい? 夕方から用事があるんで、それまでになっちゃうけどね」
「……いいんですか? それじゃあお言葉に甘えて」
「私、あきらっていいます。この子はトロ。」
「俺はパナド。ヨロシクね、お二人さん」
「オキヅカイナク」
「!?」


――――――

――――

――


*


あきらと別れる頃には、既に黄昏時、夕陽が沈みかける頃合いだった。
世界が朱く燃え、風が冷たく身を刻む。
温もりを手放してしまったような、そんな感覚。

夜の帳が降りてくる――

カラスが鳴くから、とでも言うように、人も徐々に疎らになってきた。
グラウンドの階下、体育施設の屋内部が開場する。
人形劇という出し物の都合か、客層は随分とばらばらで、パレードのように押し合いへし合い、というようなことはない。

とーん、とーん、と確かめるように鍵盤が弾かれた。
恐らく音を軽めに調整してある。
重厚な音は必要なく、明快さや軽さを重視しているのだろう。
巨大な樹が描かれた舞台に視線が集まった。

朗々と透き通るソプラノで物語の前文が告げられる。


葉が枯れ落ちる冬の日――
夜樹の下から空を見上げれば、偶然にも枝の隙間に月明かりが差し込み、月が三つ並んだように見える日があるという
『揺れ月の寒夜(ゆれづきのさむや)』と呼ばれるその現象は、
精霊があまりの寒さに、暖を取ろうとして月光を増やしたのだという言い伝えがあった――


物語はその揺れ月の寒夜に自分だけが温まろうとして、ある精霊が月を一つ盗み出したというところから始まった。
精霊たちは一堂に会し、お互いを疑いあって、己の潔白を証明しようとする。
精霊人形たちの滑稽な動き。
糸もなしにゆらゆらと微細な演技をやってのける。
タンバリンやカスタネット、打楽器を中心にした軽快な音楽が流れる。
子どもにも扱いやすい楽器を選んでいるのだろう、吹奏楽器も数は少なくも滑稽な動きで己を主張している。
魔法でそれらを操るルナリアはとても楽しそうだ。
もしかしたら、幼稚園や保育園で保母でもするほうが好きなのではないだろうか。

物語は進む。
なるほど、童話には様々なものが隠されていた。
光ある故に温かいとされている月。
ともすれば太陽信仰に陥りがちの中で興る月信仰。
魔が宿ると言われている月を想う寓話は、魔法のある世界ならではの考えかもしれない。

「不毛にやせた今のぼくをごらんよ」、と始まる土の精霊の口上は、冬の景色を示すと同時にその土地の貧しさを示していたのではないだろうか。
もしも考え通りにデーゲンリヒトがドイツに近い土地だとすれば、その土地ならではの寓話ということになる。

結局、月は闇の精霊が上で居眠りしていたせいで隠れていたように見えたのだ、というオチで、誰も悪者にはならない。
これも闇を安易に敵とは捉えていない、という説を裏付けるものとなるだろう。

ただ――増えてしまった4つ目の月の扱い。
それは何を示しているのだろうか。
ただ単に夏のホタルと結びつけただけか――


やがて人形が滑稽なダンスを終え、役目を終えた。
ルナリアと楽器と共に客席に礼をする。
思索を強制的に途切らせる。
ああ、また無為に思考を進めてしまった。

異世界シェルハ・ウォル――その一国であるデーゲンリヒト。
その寓話や国の成り立ちを想像した所で何があるというのか。
俺の住んでいた世界とは違いすぎるような、どこか似ているような。
この世界で出会う異世界の数々は、何かしら俺の世界と共通する処があるのは何故だろう。

俺はこんなに目的に関係のないことを悶々と考えるような男だっただろうか。

目的――今日のデート相手?
ルナリア・ルーチェ、19歳のエルフの女性。
彼女のことを知りたいがために?

――分からない。

彼女は息を切らせ、拍手の雨を身に受けていた。
子どもたちが勝手に彼女の周りへと集まっていく。
ルナリアは彼らにあめ玉を配っていた。
かつて日本でも、紙芝居屋が似たようなことをしていた、という記憶がある。
また、仕様もない共通点を見つけてしまった。

子どもたちはルナリアに児童絵画コンテストがどう、ということを要求しているようだ。
図らずも明日の行き先がひとつ決まってしまったことになる。

やがて、一人、二人と親に連れられて子どもたちが帰っていく。
ぐずる子どもも、ルナリアはうまくあやして帰らせていた。
根気強いことだ。そして、子ども好きなのだろう。
親としては理想なのかも知れない。

壁にもたれ、のんびりと最後の子どもが帰るのを待っていた。
やがて最後の一人が走り去ると、ルナリアは長いスカートの裾を掴んでこちらに駆け寄ってくる。
職員たちがわらわらと、次のイベントの準備を始め出したようだ。


「――、すみませんっ、お待たせしましたっ」
「いいよいいよ、お疲れ様でした。」


幾分か、彼女は精彩を欠いている。
今日一日で随分と長いこと一緒にいたし――恐らく、あれだけの数のものを魔法で制御するのは大変なことだったのだろう。
まして、彼女は朝から魔法を使い通しだ。
お疲れ様、自然とその言葉が漏れた。


「この後は?」
「えっと、騎士団の慰労と食事会がありますね。ですから――」
「ん。オーライ、じゃあ今日はここでお別れかな。
 ――一日、有難うございました、ってね」
「いえっ。こちらこそ、色々と至りませんでっ。」


やはり、どこか自分を卑下しているようだ。
彼女が抱かせる保護欲は、そんなところから来ているのだろう。


「遅くなったけど。今日一日沢山の君の姿が見れた。また明日もヨロシクね。」
「はい、こちらこそ! また明日同じ時間にっ。」


一礼する彼女。
少しいたずら心が湧いてくる。


「センセ。俺にもあめ玉ちょーだい?」
「まあ、子どもみたいに。
 ……はい、どうぞ。」
「ありがと。」


貰ったキャンディの包み紙を外すと、琥珀色がきらきらと照明に瞬いた。
彼女はとても緩んだ様子で、油断しまくっている。だから。


!!??
「んー! むー!」


がぽっと飴玉を思い切り口の中に突っ込む。
彼女は混乱し、そして飴をころころさせながら抗議してきた。
この状態で口を開けないのも、また彼女らしい一面だろう。


「あっはっは、うん。いい顔してる」
「今日は疲れたでしょ? 甘いもの食べて、もう少しだけ頑張って」
「――」


彼女が頷くのを確認すると、また明日ね、と踵を返した。
体育施設から出ると、指に絡んだ唾液を舐めとる。
微かに彼女の甘い味がした。
彼女の前ではとても出来ない所業。

今はまだ。

そう、別に焦ることはない。
『また明日』もあるのだから――




――――――

――――

――


*



さて。



今から帰るとなると、また明日ここに来るのはとても面倒だ。
今日はここら辺りで宿を探すべきだろう。
とすると、流石に同行者には連絡を入れておくのが筋というものだ。


「今日は帰んないよん、と」


端末からメッセージを打ち込み、送信する。
簡易的なものだが、彼女には意図が伝わるだろう。


終わった?
「ん、お待たせ」
ううん、いいよ。


ミドリと名乗った彼女は、そっと俺の手を取った。
防寒装備を完全にした彼女の体温は伝わらない。
手袋越しの触れ合い。
それでも彼女は満足なのだろう。
へへ、と緩んだ笑顔を向けてきた。
俺も同じように微笑み返す。


今日は寒いから……


小さく呟かれる。
高く掠れた声は聞き取りづらいが――意図が読めないほど鈍くもない。
俺たちは連れ立って、夜の闇に消えた。
夜はまだ、始まったばかりだ――





to be continued......